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2012年 05月 03日
![]() というわけで、シャオさん初ヤフオク。 いやもー、手に入らなかったんですよこの「SKIP!」ちうCDが! まあ、そもそもがシャオがリアル中学生の時、レンタルレコードで、しかも、当時シャオが好きだった女性と同じ名前だった、というだけで借りた(にしても、多分、一枚500円ぐらいはかかってたと記憶)音源。当然、レンタルだからカセットに録音していて、そしてカセット→MD化において混沌の彼方へ。 勿論、似たような経緯で失った音源は数あれど、実は結構な割合でCD化されており、シャオも執念深くデジタル化を模索していて(例:ここはグリーンウッドボーカルコレクション、十六夜物語/河合奈緒子等)、かなりゲットしていたのだが、こいつだけは、本当に、何をどうしても手に入らなかったのだ。 多分だけど、もともとのCDプレスが少なすぎるんだと思う。つか、そもそもこのアルバム、レコード時代から全く売れてねえ。CD化されてるのすら奇跡だと言える。 で、この間、暇つぶしにググってみると、ヤフオクで一点だけ出品されてた。値段も1,800円とリーズナブル。売れてねえんだろうなあつくづく。ヤフオクなんて、と見向きもしなかったシャオだが、アカウントだけは持っていたのでとっとと即決価格で落札。 いやー懐かしい。なんつーか、この、60年代ポップスと80年代の竹内まりやを混ぜ合わせたような、それでいて独特の世界観がスゥテェキィ。 いろいろ検索してみると、ご本人は「菅井えり」名義で現在もご活躍の模様。残念ながら、ヒーリングミュージックの方へ行ってしまったみたいなんだけど。この手のポップス路線、今なら逆にアリなんじゃね?と思う。 とりあえず。youtubeで一曲だけ張ってあったので。これ以外にもいい曲目白押しなんだけどな。 2012年 04月 19日
某所で話題になってたので。
実は、(意外なことに)シャオさんは「さだまさし研究会」に所属したことがない。別に時期を逸していたわけではない。シャオが上京した1990年代前半は、いわば「さだまさし研究会」の「成立~定着期」だった。実際、いくつかの「さだまさし研究会(に準ずる団体)」の立ち上げを見てきた。 シャオが所属していたのは、あくまでMC-HAPPIという団体であり、シャオも、代表などではなく「渉外役」に過ぎなかった。のちに「副会長」という役職が付されたが、それは単に「実務にふさわしい肩書を与られた」だけにすぎない。やってることは、実のところMC-HAPPIに所属した大学1年から4年まで、ほぼ変化はなかった。 確かに、他のさだまさし研究会さんとは連絡を取ってはいた―が、それは別にMC-HAPPIという団体としてではない。さだまさしのファンであるシャオが、他のさだまさしのファン(往々にして、さだ研のメンバーでもあった)と連絡を取っていた結果に過ぎない。無論、色々な団体から声をかけていただき、各さだまさし研究会の大学祭などで出前ライブもさせていただいたが、それも誘われた個人間の関係あってのことだ。あくまでMC-HAPPIは、さだまさし研究会(に準ずる団体)ではない、というのが、会員も含め執行部の公式見解だった。(個人間の関係、とか言いながら、別れた恋人が所属する団体に誘われ、のこのこ出かけてライブしたシャオもいい面の皮であるが。あれなんだったけ? 女郎花?)。 というより、他の団体と比べて、MC-HAPPIが団体としての結束力が普通に薄かった、というのもあるだろう。基本、MC-HAPPIのメンバーは「団体として一丸となる」ことがなかった。一丸となることがないのだから、主導権争いなるものが存在するわけもない。そもそも、団体としての価値なんて誰も考えてなかったんじゃないだろうか(笑)。おかげで、シャオは派閥抗争などは経験せずに済んだ。人数がいなかったわけじゃない(最盛期には40人近くになっていたはずだ)が、単にメンバー全員が、「自分が主導権を握る」ということに、極めて関心が薄かった故である。 実際、さだまさし研究会の連合体(あったんですよそういうものが。関東まるま連絡会、だったかな?)の会報に団体紹介を寄稿するとき、シャオの原稿のタイトルは「一匹狼の互助会~MC-HAPPI」というものだった。いくらなんでも絶望的にあんまりだ、と当時の先輩に指摘され、「きっかけは、さだまさしでした」という穏当な(そしてさだファン向けの)コピーに変えた思い出がある。それでも、「きっかけはさだまさし『でした』」と過去形を使った辺がこだわりだったのだろう。 このMC-HAPPIという団体は、実は今でも存続している。団体、というより一つのバンドを指すようになっては来たが、それでも、彼らがするライブには必ずMC-HAPPIのクレジットがある。シャオも時々お邪魔する。みんな年齢を重ね、変わるところは変わり、そして変わらないところは変わらない。 シャオがこの団体がたまらなく好きなのは、なによりその「薄さ」だ。実際、シャオがはるばる(笑)東京まで出かけたとしても、「よく来たねえ!久しぶり!」というセリフすらない(笑) 「よっ!」「ども」で出会い、「じゃ、俺この辺で」「おーう!またな!」で終わる。 「離れていても、昨日会ったように再会し、明日また会うように別れられる」 そんな関係も悪くはない。 いずれにせよ、なんか、一行書くごとに「ギャッ!」と叫んで逃げ出したくなるような、そんな思い出が浮かんできた。「あの頃」と「今」を少しでも描けたなら嬉しいのだけれど。 ![]() ごく一部。たくさんありますよん(笑)。 2012年 04月 11日
友人に教えていただいたので拡散。 なんだこのカオスな空間。 しかし、久々に聞いたな「むかし子供たちは」。やっぱり、あの辺の曲はシャオさんドがつくストライクだ。いいわー。マジいいわー。 2012年 04月 04日
2012年 04月 03日
まわりの大人たちを見てごらん。 下町の町工場のオヤジさんも、威勢よく声を張り上げている八百屋のオバちゃんも、ちっとやそっとのことじゃあ、お店は閉めない。 生きていくなら、お金を稼ぎましょう。 どんなときでも、毎日、毎日、「自分のお店」を開けましょう。 それはもう、私にとっては神様を信じるのと同じ。 毎日、毎日、働くことがわたしの「祈り」なのよ。 どんなに煮詰まってつらいときでも、大好きな人に裏切られて落ちこんでるときでも、働いていれば、どうにかこうにか、出口って見えるものなんだよ。 「この世でいちばん大事な「カネ」の話/西原理恵子」 明日は、晴れるといいな。
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