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2013年 09月 17日
ひさしぶりに読了したので。昔のデータって残ってるもんだ。
**************************************** 「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズ読了。 いやあ面白いわコレ。 今現在、涼宮ハルヒシリーズは、「涼宮ハルヒの憂鬱」「涼宮ハルヒの溜息」「涼宮ハルヒの退屈」「涼宮ハルヒの消失」そして「涼宮ハルヒの暴走」の5冊が出ている。角川スニーカー文庫という、地雷臭溢れる文庫(※)から出版されていたため、今まで敬して遠ざけていたことを後悔。ええいくそ、なぜもっと早く気がつかなんだ。 (註:当時。現在は「暴走」の後、「動揺」「陰謀」「憤慨」「分裂」が出版されている) とはいえ、この本、実は万人受けする本ではないことも事実。多分、ある程度SFを感じることができないと楽しめないと思う。 そう。僕は「SFを感じることができないと」と言った。文中から推測するに、この作者、谷川流(たにがわ・ながる)もかなりのSFファンであるのは間違いないと思う(地の文に「あなたの魂に安らぎあれ」とか「でっかい透明なエンドウ豆のさやに閉じ込められている少女」とか、オマージュありすぎ)が、別にSFの「知識」は必要ない。例えば、さっきの文章の「あなたの魂に安らぎあれ」が、なんのことだかわからなくたって、この本を楽しむのには何の支障もない。 では、SFとはなにか。まぁこのテーマは70年代に腐るほど語られていたのだが、シャオは、基本的に「SFとは、センス・オブ・ワンダーを感じさせる物語」と定義している。別に宇宙戦艦やスペースコロニーが出てればSFだ、なとどは思わない。セカチュウをスペースコロニーの中でやったって、それは単に悲恋ものでありSFじゃない。 じゃあ、ワンダーとは何か。それは「筋の通った馬鹿話」だ。どんな荒唐無稽な能力だろうが人物だろうが、それが作品内の世界法則と合致していれば、それは「ワンダー」であり「無茶」ではない。 このシリーズは、そんな、荒唐無稽なお伽噺だ。 もちろん、瑕瑾はある。特に、ひとつだけネタバレしてしまうと、ヒロインたる涼宮ハルヒの能力は、いわば「無限自己実現能力」とでもいえるもので、SFではわりと古くから使われているネタ。「地球平面委員会」との相似を訴える評論もあるが、どっちかっていうと新井素子の「…絶句」だろう。もちろん料理法も違えば味付けも違うので、これをパクリだというつもりは毛頭ないが、残念ながら主人公たちのキャラクターが全員が全員「どっかで見たことがある」というような性格ばかりなので、ストーリーともども新鮮味、というのは感じない。 だが、そこらの「属性萌えヲタ向け小説」と違うのは、これらの「萌え属性」が、全て作品内の必要性によって規定されている、ということだ。それは単に、「ドジッ子のメイドキャラを出しとけば受けるだろ?」「無口でメガネっ子の読書好き女子高生ってスキですよねケッ!」というレベルではなく、そのキャラ属性についても、作品内で必然性を維持している。そして、それはストーリーと密接に融合し、他のどこにもない世界、涼宮ハルヒの周りにしかない世界を作り出している。 これこそが、ワンダーだと思う。 さて、世界観は素晴らしかった。ではテーマはどうだろうか。 もちろん、作品を読んで「どう感じるか」はともかく、作者がどんなテーマで描いたのか、というのは邪推の域を出ないのは百も承知なのだけど、あえて書いてみると、たぶん、作者の谷川流のテーマは、次のようなことじゃないんだろうか。 「これが俺の考える理想の高校生活だ!」 高校生活を振り返って、悔いの1点もない人はいないと思う。それは当たり前で、後悔というのは、未来の価値観で過去を計る行為だからだ。「一点の後悔もない」という人間は、高校時代の価値観と現在の価値観が同一の人間、つまり馬鹿えーとそのまぁそういう人間だと思っていただければいい。 谷川流の理想の高校生活は、まさにこの涼宮ハルヒの行動ではないのだろうか。気の合った、全幅の信頼を寄せる友人たちとほのかに想いを寄せ、そして相手も寄せてくれていると考えられる異性と、春には花見、夏には海水浴、秋には紅葉狩りとスポーツ大会、そして冬にはスキー。もちろん、夏の海水浴には別荘で泊まり、ついでにいうとそこで謎の殺人事件が起こる。冬にスキーに行けば、そこでは吹雪にあい、自分たちの存在が危うくなる。そしてそれらを団結して乗り切る! だれもが「漫画の中」でしか感じていなかった世界。そんな高校生活を谷川流は、そんな「理想の高校生活」をSF世界の中で見事に描写しているのだと思う。 「小学校の、6年生の時。家族みんなで野球を見に行ったのよ球場まで。あたしは野球なんか興味なかったけど。着いて驚いた。見渡す限り人だらけなのよ。野球場の向こうにいる米粒みたいな人間がびっしり蠢いているの。日本の人間が残らずこの空間に集まっているんじゃないかって思った。でね、親父に聞いてみたのよ。ここには一体どれだけ人がいるんだって。満員だから五万人ぐらいだろうって親父は答えた。試合が終わって駅まで行く道にも人が溢れかえっていたわ。それを見て、あたしは愕然としたの。こんなにいっぱいの人間がいるように見えて、実はこんなの日本全体で言えばほんの一部に過ぎないんだって。(中略) あたしなんて、あの球場にいた人ごみの中のたった一人でしかなくて。あれだけたくさんに思えた球場の人たちも実は一つかみでしかないんだってね。 それまで、あたしは自分がどこか特別な人間のように思ってた。家族といるのも楽しかったし、なにより自分の通う学校の自分のクラスは世界のどこより面白い人間が集まっていると思っていたのよ。でも、そうじゃないんだって、その時気がついた。あたしが世界で一番楽しいって思っているクラスの出来事も、こんなの日本のどこの学校でもありふれたものでしかないんだ。日本全国の全ての人間から見たら普通の出来事でしかない。そう気がついたとき、あたしは急にあたしの周りの世界が色あせたみたいに感じた。夜、歯を磨いて寝るのも、朝起きて朝ごはんを食べるのも、どこにでもある、みんながみんなやっている普通の日常なんだと思うと、とたんに何もかもつまらなくなった。そして、世の中にこれだけ人がいたら、その中にはちっとも普通じゃなく面白い人生を送っている人もいるんだ。それがあたしじゃないのは何故?」 そしてクライマックス。彼女は叫ぶ。 「あんたは、つまんない世界にうんざりしてたんじゃないの? 特別なことは何も起こらない、普通の世界なんて。 もっと面白いことが起きて欲しいと思わなかったの?」 このセリフに「そうだよそうだよ!俺もそうだったよ!」とうなづける人間は、是非、一巻の「涼宮ハルヒの憂鬱」だけでも読んで欲しい。(本音を言うと、4巻の「涼宮ハルヒの消失」までで1セットとシャオは思っているのだが、まぁみなさんのお財布にも限りがあるだろうし) *************************************************** 実は、この文章を書いたのは、涼宮ハルヒの憂鬱がアニメ化される3年前、2004年のことだ。 その後、アニメ化されてスターダムにのし上がった本作品だが、シャオはちょっとだけ、残念に思う。 アニメ化さえなければ、2013年現在も、細々とだが、確実なファンのために、ハルヒの活躍が記されていた可能性が高いからだ。 まあ、今のところの最新刊である「涼宮ハルヒの驚愕(後編)」は奥付で今年6月だから、まだ諦めるのは早いかもしれないが。 なあ。 また、ハルヒや長門やみくるちゃんや、古泉や佐々木に、会わせてもらえないだろうか?
by shaonanz
| 2013-09-17 22:18
| 再録
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