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2022年 10月 17日
かつて、こんな文章を書いた。 いささかフィクションも混じっているが(シャオは基本的に本当のことを丸のままブログに書かない)、まあ、概ねはあたりという感じであり、最後の締めの言葉である「多分、彼女の人生とシャオの人生はもう交わることはないだろう。中学生時代、シャオが心に秘めた想いを知らずに、彼女の中のシャオは、「過去の良い友人」という立ち位置で変わることはない。」と書いたのは、当時の偽らざる本音であり、また、それはそれでいいのではないかとも思うことではあった。 が。それから幾星霜。つい過日のことだ。 シャオさん、思い切り本人にカミングアウト・バイ・ザ・電話。 いや、この文章を書いてから12年(!)。そらもう色々なことがあり、なによりお互いの立場が大きく異なってきた。彼女は、いやお前そこまで行くか的なポジションまでつけ、シャオはシャオで、まあそこそこの規模の仕事を切った張ったしつつ、得意の(!)英語を(!)駆使して(!)インターネッツでグローバルなイノベーションをアウフヘーベンするお仕事をしてたりする。彼女の家庭も成熟し、シャオの家庭も安定を得た。 そして繰り広げられる電話合戦って何ゆえホワイ。彼女曰く「シャオ君と話すときって頭使わなくていい」という、誉め言葉だか何だかわからないお言葉をいただきつつ、なんだかんだで電話連絡が増えてきた。 いや。誤解しないで欲しい。 いくら深夜におけるハイテンショントークを繰り広げたからと言って、「実は…」などとシリアスな切り口で話したわけではない。というより、彼女の方が「シャオくんって、ブログにあたしのこと書いてたよね?」と何回か聞かれ、はぐらかし、躱し、逃げること数回。が、結局のところブログの存在を知られている以上、抵抗するにしても限界がある。数回目に聞かれた時にブログ名と当該記事「弥生薫シリーズ」の場所をゲロったというのが真相。まあ、あの「銀色の季節」はほぼ脚色が入っているとはいえ(普段のブログも無意識にウソを混ぜるのに、小説仕立てにしているのを真実ばかりと思う方がどうかしている)、モデルとなった本人だけが知らんというのも後ろめたかったし。 軽く読んだ後、彼女は大きな声で叫んだ。 「え? シャオくんって。 あたしが初恋だったの?」 あー。すまん。 あなた以外の同級生の全員が知ってると思うよ? 耳に入らなかったとした理由としては、特に高校時代、俺がいわゆるスクールカーストに於いて「かなり特殊な位置」を占めていたからだと思う。上位にいるキラキラ学生ではなかったものの、では下部かと言うとそういうわけでもない。普通かと言えば絶対に違うし(キョンや折木奉太郎のように、一般人こそ目立たない、というのは学校生活においては多分嘘)、目立ってはいるが、かといって嫉妬もされない微妙かつ絶妙に、それでいてある程度受け入れられるポジションに付けていたからだと思う。考えてみればシャオさん「好きな女はいるのか」という話題を振られた覚えが全くない。そういう場からは逃げてたと言うのもあるが、それにしてもここまで記憶がないのも珍しい。 つまり、俺がAさんのことを好きだというのは、おそらく全員共通のフォーマットであり、極論を言ってしまえば「わざわざそんな当たり前のことを話題にせにゃならん」という認識だったのではないか。これが、俺の方が尽くして尽くして健気な努力をしてればまだ話題にもなりそうだが、なんせ本人たちは普通にヘラヘラと仲が良いのだ。鮮明に覚えているが、中庭にいた時に、衆人環視の中、学校一と称される美少女が、上から「シャオくーん! 手紙! 受け取って!!」とか手紙をぶん投げてきた(よく考えたら、中身次第では危なくないですかtoAさん)のを受け取った時、周りの連中が「………お前たち……まさか付き合ってるとか…」と聞いてきた。「ない」「だよなあ!」と一瞬で納得されたとき、こいつらどうやったら苦しんで逝ってくれるかと本気で考えたのはともかく、「当たり前のことを話題にしない」というレベルの話なのだとは思う。 また、俺の方が超絶イケメンであれば、女性陣から「キー!なによあの女!顔がいいのを鼻にかけて許さん!」とか言われたのだろうが、あいにくその手の存在はシャオさんにはいなかった(俺の名誉のために言うが、それなりに女生徒には受け入れられていたと思う。思わせてくれ。いや多分。もしかしたらきっと)。かくて時は流れ、平穏を得たシャオさんではあったのだが。この年でこんな話になるなんてなあ。 一応(まさかとは思うが)、ちゃんと言っておくが、俺も彼女もそこまで無分別ではない。彼女曰く「うちのダンナは世界一イイオトコ」と言わせしめる(いや話を聞くとマジで顔も心もイケメン)立派な配偶者がおり、俺は俺で「うちの奥さん、一緒にいてマジで面白いことには自信がある」という、シャオさんにとって居てくれるだけでありがたい配偶者がいる。だから線は交わらない。これは断言できる。 だが、初恋の終わり方が進化したのも事実だ。 それも、シャオにとっては、ものすごく「面白い」方へ。 そう考えると、長生きも悪いもんじゃない。まだまだ、ワクワクすることがたくさんあるのだろう。 #
by shaonanz
| 2022-10-17 17:51
| 日記
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2015年 08月 26日
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by shaonanz
| 2015-08-26 18:11
| 日記
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2015年 08月 24日
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by shaonanz
| 2015-08-24 19:38
| 日記
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2015年 05月 12日
シリーズを始めておいてなんだと言われそうですが、ちょっとあちこちに波及があったんで。
さだまさし?なにそれ美味しいの?という方々にはスルー推奨。 ☆ ようこそおいでくださいました。ありがとうございます。音楽会なのに入場者の年齢を制限することは、とても変なことです。もしかすると間違ったことかもしれません。そこで、蛇足ながら、僕自身のこのコンサートに向かう気持ちを、聞いて頂こうと思います。 ある時、「私の娘が大変あなたの歌が好きなのです」と、僕にサインを要求する中年の男性に出会ったと思ってください。更にその方は「私もあなた歌は気に入っているのだけれど、コンサートは若い人たちばかりだろうし、一度も行ったことがない」と続けます。「ま、我々の世代には会場は遠すぎる場所ですよ」と・・・。 またある時、前の男性より少し若い女性と、喫茶店で出会いました。その女性は、近頃、子供が幼稚園に通うようになり、その分手がすいたのでレコードを聞いたりするのだけれど、コンサート会場には照れが身に染みてしまって、とても行けない、といいました。 コンサートには若い人が多い。それは確かです。ですが、年配の方も意外に多いものです。昔から日本人には「若い者」との間に一線を引きたがる人が多く、「若い者」とともに何かをすることを恥と受け止めてしまう傾向にあるようです。 もしも、と我々は考えました。もしも、そういった遠い場所の人々、我々の手で現場に引っ張り出せることができたなら・・・と。仮に年配の方々が音楽会にやってくる。(もちろん、さだまさしのコンサートに限らず、です。)そうすれば、音楽会の客層が変わってくる。従って送り手も変化する。これは革命ではないか!と・・・。 ま、それほど肩に力を入れずとも、音楽には本来年齢の制限などあろうはずがありません。それを確認するために、あえて制限してみたのです。 30歳以上、としたのは、ビートルズ「革命」を基準としましたので、本当は35歳以上と言うべきなのですが、話がこじれるので、切りのよいところにしました。 ビートルズの出現は、それ以後の音楽の受け手の態度を一変させた、と思います。ビートルズ以前の、或いは、第二次世界大戦以前の青春たちの持つ音楽に対する態度と、ビートルズ以後は次元が異なってしまったのでしょうか? どうぞ街に、音楽会に出てきてください。これ以上、若い者を放り出さないでください。世代で世界が区切られるのは不自然です。 お互いに、先入観や思い込みで、相手を切り捨てたり切り捨てられたりするのは、もうたくさんだと、そう思うのです。 今日は、本当にありがとうございます。 <さだまさし「さまざまな季節に」 コンサートメッセージ> これがいわゆる、さだまさしの「30歳以上の方のコンサート」に対するメッセージである。 当時、シャオはまだ小学生。が、この文章を読んだときには震えが来た。なんとこの人は高潔な考えの持ち主なんだろう! 30歳以上のおじさんやおばさん(小学生から見れば30歳と言うのは立派なおじさんやおばさんである)にも、音楽を伝えようとしている! が。 今や立場は逆転し、さだまさし氏自身が還暦を超えた現在、皮肉な逆転現象が起こっている。「ま、我々の世代には会場は遠すぎる存在ですよ」と言っていた世代が、クレジットカードを背中にコンサート会場へ足を運び、逆に若者に対する彼の存在は、ありていに言って「ダスキンのおじさん」であり「北の国からの主題歌を歌った人」なのだ。 これではマズイと思ったのだろう。結果、今年、彼は「U-30のためのコンサート」を企画した。オールスタンディング、ライブハウスでの東名阪ツアー。そして参加条件は「30歳以下であること」そして。 「自分が30歳以下であると公言できる人(笑)」 (笑)、じゃねーよ、と吐き捨てたのはシャオだけか。 違うだろう。それは違うだろう。かつてあれだけの高潔なことを言い、当時音楽に縁遠かった人々に「コンサートに来てくれ」と願い(記憶は定かではないが、社会人の方が来やすいようにと曜日も配慮されていたはずだ)、音楽、というものを広めようとしてきたあなたが、あなたがそれをするのか! と絶望に満ちた呻きをあげたのは、本当に俺だけなのか。 当時、どうか若者を放り出さないでくれ、と言っていたあなたは、今回のコンサートで中途半端な条件を出し、ある意味で若者を放り出してしまったのではないか。いやわかるよ。もう俺も大人になったんだ。本人のプライドとか、まあ営業の都合とかいろいろあるだろう。判るけど。判るけどもさあ!そこは売らないでほしかった、そこだけは、そこだけは違うだろう。それを言ってしまったら、「敗北宣言」なのではないか。自力では若者を集められない、という意味の! さだまさしの曲は、一時期「軟弱」と呼ばれたように、実に淡い曲調のものが多い。しかし、それは実は骨太で、立体的に組み合わさった骨組みに、淡い壁紙をはったものなのだ。クラッシックやフォークソングに対するアンチテーゼとしては、ロックンロールに近いと言っても過言ではない。 だからここは言いきってほしかったのだ。「30歳以下の方は今回、入場をご遠慮願います」と。 集まる数は少ないかもしれない。だが、さだまさしの曲は20年経とうが30年経とうが絶対に通じる。当時小学生だったシャオの魂を掴んで20数年離さなかったのは、あなたの曲なのだ。今の若者が聞いていてわからない、なんてことは絶対にない。 そうすれば、今回集まった「若者」が、次のコンサートには誰かを誘ってくるかもしれない。そのチャンスともいえる企画を、あなたは、自ら貶めてしまったのだ。 今回の騒動で、色々な方の意見を見た。だいたいは「まあ営業の都合だよね」という話であり、或いはまた「別にぜんぶのツアーがそうでもなし、数回のコンサートの条件に何を目くじら立ててるんだ」という話であり、また、「まあこれもアリでしょう」という話である。それで大人になる気なら、ついでにここで僕を捨ててしまえ、と夢の轍ネタでシャウトしたい欲求を感じる。 今回、このコンサートに行かれた「30歳以上の方」に対する誹謗は全くない。だって、ルール違反じゃないもの。自称でOKですよ、と企画サイドが言ってる以上、入場するのもOKなら「楽しめなかった」と感想を書くぐらい当然だろう。また中途半端にチケットの値段高いし。(本気で若者を集めるなら、ドリンク込みで3,000円ぐらいだろうか) もちろん、費用対効果というものがあるのは資本主義で育ったシャオ自身よく知っている。だが、それは、こういう企画に当てはめてよいものか。 繰り返し言う。違うだろう。それは違うだろう。 年齢制限を「あえて」かけることにより、その差をなくそうとした「30歳以上の方へのコンサート」 かたや、年齢制限に実質上縛りをかけていないのに「U-30の方へのコンサート」 中身は全く別物である。そこがシャオには、歯がゆく、そして悔しい。 「それはお前の理想のさだまさし像」であって、「現実のさだまさし氏がどう動くかは別問題だ」という意見は実は正鵠を得ている。だが、せめて「失望した」と意見を表明することぐらいはよいだろう。 かつて、さだまさし氏の運動に「ピース・スフィア」というものがあった。その当時、結構な議論になったのだが、シャオは静観を決め込んでいた。今にして思えば、それは「彼の音楽」と「直接かかわりがなかった」からの「静観」だったのだなあ。今回の騒動で、言ってしまえばシャオは、自分の音楽の根源的なものに衝撃を受けたのだ。 なあ。ありなのか。そして、そして。 ステージから見たあなたの風景は、その昔、「30歳以上の方のコンサート」見たものと比べてどうだったんですか? この結果に、あなたは満足しているのか? そう問いたい。他の誰でもない、歌っている「あなた」にへだ。 #
by shaonanz
| 2015-05-12 20:04
| 日記
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Comments(1)
2015年 05月 03日
だいたい、シャオの旅において食事ほど度外視されるものはない。
およそシャオにとって、旅先での食事というのは「行動力を確保するカロリー源」という以上の意味をほとんど持たない。何故なら一人旅が殆どだから。 そんなわけで「朝:クリームパン、昼駅そば、夜は松屋」という旅が平気で強行されることになる。かといってそこまで貪欲に観光地を回るでなし、さらに今回の旅行は東京。だいたい、シャオが東京にいく、という場合は殆どが「東京の雰囲気に浸りに行っている」だけでなので、大変にローコストな食費で行っていた。 が、このGW連休の前半に東京に行った旅行はそういうわけにはいかなかった。 その主因は、配偶者という同行者の存在である。マグリット展を見に行く、という共通の目的があり、夫婦関係がある以上、いくらなんでも「国立新美術館集合、同地解散」とかの格安ツアーを組むわけにはいかなかった。 というわけで、今回は180度方針転換をし、「どうせなら一生に一度くらいものごっつ食事に拘った旅をしよう」がテーマとして配偶者から示された。このテーマを出された時、いかに東京の食事というのが というわけで、以下羅列。ちょっと迷ったんだけど基本的に店舗名は実名でいくことにする。一消費者の戯言として聞いてもらえると嬉しい。 本家「恨ミシュラン」に従い、恨み度を★であらわし、5を最高点とする。当然、星が多ければ多いほど「俺はいかない」度数が高い。 1食目:神田・藪蕎麦 というわけで、東京到着後、昼食を取りに行ったのが神田の藪蕎麦。 神田の藪蕎麦といえば、蕎麦が好きというやつなら聖地といってもいいほどの至高の存在。無論、かの「美味しんぼ」にも登場し、その創業120年の出汁のいわれを語られたりしていた。 その後、文字通り身から火を出して、出汁はすべて失いすべて全面改装したのがオチだったりするのはともかく。 まず、祝日に行ったせいか「たかが蕎麦」を食べるのに行列があるのにびっくりする。東京クオリティに目をくらませつつ最後尾に。とはいえ、列はスムースに運び、30分後には店の中に。 シャオ達がオーダーしたのは「かまぼこ」「天ぬき(天ぷら蕎麦から蕎麦を抜いたもの)」そして「せいろ」をそれぞれ一枚ずつ。 ……無駄に貶める気はない。 すべてのオーダーがきちんと時系列順に出され、それぞれが一流の仕事をしているのが如実にわかる。はっきり言うが、この店よりちゃんとした蕎麦を出す店はそうはない。 が。 食事後、シャオと配偶者は「かまぼこと蕎麦湯が美味しかった」と共通の感想を漏らしていた。 なんというんだろうか、上品すぎてフックにかからない、という論評が一番適切か。うん、値段もそんなに大したことはない(東京基準で)し、一人でお爺さんが日本酒とせいろで粋に飲んでたのもカッコよかったんだけど、あえて言います。並びますかコレ。そゆもんですか。 あと、これは改装後だから仕方なんいだけど、テーブルやその他があまりにもデパートの蕎麦屋ライク。せっかくの老舗なんだからその辺ちゃんとしてればもちょっと評価あがったかも。 恨み度:★★ 店チョイス シャオ 2食目 お台場 pills お台場で実物大ガンダムを散々見倒して、夕食としてチョイス。 現在、オシャレ女子の間ではパンケーキが流行しているらしく、その中でもpillsといえば、オーストラリアに本拠地を置き、かのハリウッドセレブ達がオーストラリアに行くたびに食しに行くという話。東京には表参道とお台場に2店舗。 店に入る前の客さばきといい、お台場の海が見えるテラス席、そしてベビーカーの中に入った犬といい、なんかもーセレブがセレブでセレブを語るような煮しめた雰囲気は楽しめた。 が。いざ席に着くと、若いウェイトレスが放り投げるように水を持ってきた。いや違う。十分丁寧な動作なのだ。ただ、彼女は手を離すタイミングが一秒早い。グラスがゴツ!とテーブルに当たるたびに首をすくめる我々。 配偶者は、かのトム・クルーズも愛食しているというパンケーキと、そしてお店のオリジナルドリンク、pills greenを。シャオはちょっとお腹が減っていたので、オージー・ブレックファスト(トースト、スクランブルエッグ、ベーコン、マッシュルームとソーセージ)にオレンジジュースをオーダー。 はっきり言うが、 今回の旅の最大の地雷。 まずpills-greenというドリンク。 これがとにかくマズい。それもそのはず、メニューの素材表に「キュウリ」としっかり書かれている。その点はシャオも気がつき、配偶者に注意喚起もした。そもそも、アメリカ人というのは、キュウリというものに過大なほどの「クール」さを感じているらしく、健康食品に限らずすぐに放り込みたがる。結果はわかるだろう。 そして、これはシャオのオレンジジュースにも言えることだが、温度がぬるい。いや、そりゃそうなんだ。一から絞ってりゃ冷えてる方がおかしいんだ。だけど、ほら、なんつーか、氷入れるとか、なんか知恵を効かしませんか。 まあ、止めたのにgreenを頼んだ配偶者の自業自得だ。こちらはその後、ブレックファーストが皿に盛られて出てきた。ふむ。外見は合格。ちゃんとしたブレックファストだ。では。 ……なんですかこの暖かい、味がしない物体は。 視線を泳がせると、テーブルの隅に塩と胡椒のビンが置いてある。通常、調味料をごってりかけるのはカッペのすることだ。(フランスなどでは、料理に少しかけただけでシェフが怖い顔で「私どもの料理に何かご不満がございますか?」とかすっ飛んでくるとかこないとか) が、その信念を打ち砕くこの生暖かい物体を食するにはやむを得ない。まず胡椒、そして次に塩をかける。 ……あの。舌の両端で塩味と辛味がわかるんですけど。 そりゃそうだ。味を感じる味蕾細胞は実は舌に拠点的にしか存在していない。通常の食物の場合、それが複合部分にまたがって感じられるために「味わい」なるものが存在する。(もうちょっと補足すると、実は辛味というのは味蕾ではなく、実は「熱い」という神経細胞なのだが) つまり、このソーセージやスクランブルエッグはマジモンの無味無臭ということになる。 まあしょうがない。ここはパンケーキが売りの店だ。せめて配偶者のパンケーキだけでも……と見上げると、一心不乱にメープルシロップでパンケーキを水浸しにしている女がいた。ああ。そちらもですか。 そうそうに腹に詰め込み、そそくさと会計をお願いする。パンケーキの店でテーブルチェックもないもんだが、と思いつつ示された金額にシャオは腰を抜かしそうになった。 この無味無臭の塊に5,000円以上払えと??? その日、お台場海浜公園で海を見つつ語らい合うカップルの中に、延々延々食い物の恨みを語り続けるカップルが一組いたことは記録としては残っていない。罰ゲームにオススメ。 恨み度:★★★★★ 店チョイス:配偶者 3食目:三井ガーデンホテル*朝食 「朝食は築地でお寿司よ!」と高らかに宣言した配偶者の命を受け、それなりに調査していたシャオさんであるが、配偶者が手配したホテルのチケットを見て「朝食付き」がついてるのを見て目玉ドコー。なにこれ? 「だってここのホテルは朝食が美味しいのよ!」……お寿司は?「食べるわよもちろん!」 ……まあいいですけどね。バイキングですし。 昨日のリベンジを兼ねて トースト、スクランブルエッグ、ソーセージ、ベーコン、そしてサラダを少なめに。 美味しい……。 いや違う。これ美味しくない。いや美味しいけど。普通に卵とソーセージとベーコン炒めりゃこうなるんだよ! 昨日のがおかしいんだよ! 唯一の難点は、これから「寿司」なる高級フードを食うのに、ついつい食べ過ぎてしまったぐらいか。これはぜんぜん相手側の落ち度じゃないんだけど。 恨み度:★ 店チョイス:配偶者(?) (続く) #
by shaonanz
| 2015-05-03 22:01
| 日記
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