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2010年 10月 07日
小学校の時の卒業新聞が出てきて、思わず笑ってしまう。卒業文集ではなく、卒業後に記念として配られた卒業「新聞」なので、卒業式の写真やらが掲載されており、裏面一面に学年全員(80人しかいなかったのだ)の「しょうらいのゆめ」が記載されていた。「看護婦さんになりたい」「優しいお母さんになりたい」という、ささやかだけど微笑ましい目標から、「オリンピック選手になる」「プロ野球のカープに入る」「動物村を作る」といういやお前ソレよっぽどキバらんとあかんで、というものまで様々。 省みて、自分の書いた欄を見てみると、きちんとした活字でこう記されていた。 「外交官になって、立派に国事を果たしたい」 周りが小学生っぽい「夢」を書いてる中、これは浮く。浮いている。だいたいなんだよ「国事」て。多分、当時日本国憲法を習ったばっかりで、「天皇の国事行為」という単語が頭について離れなかったんだろう。あの頃から、ちょっとカッコよい漢語があると使いたくなる癖はあったんだなあとひとしきり苦笑いする。そういや、この前、ちょっとだけシャオの世話をした医者が、配偶者に向かい「ご主人は、いつもあんな漢語で喋ってるんですか! 疲れませんかアナタ!」とキレられたと言っていた。ちっ、ちょっと「業務連絡における有機的結合を考慮するとご提案は却下せざるを得ません」とか言っただけじゃんかよ。←言うなよ。 ぶっちゃけ外交官になりたいなんてのがどの口から出てきたのか未だに思い出せないのだが、それ以来、シャオの進路は常に「~官」になりたい、というものだった。最初は外交官、次は警察官だったかな。んで、実は大学に入るまでは(正確に言うと2年の冬まで)「検察官」だった。そう。今流行りの。悪い流行りだけど。当時の検事総長は伊藤栄樹氏という物凄い方(すでに物故。ちなみにこの方が書いた「だまされる検事」と「人は死ねばゴミになる」という本はシャオの中ではバイブルに等しい)で、この方の著作を読んで検事(検察官)という仕事に憧れを抱いたものだ。 そんなシャオがなんでポンコツなピカチュウ社で、しかもパワフルにくすぶってるのかは別の話として、そんなわけでここのところの検察不祥事や強制起訴とかには言及していなかった。どうしても「検事より」の話になっちゃうので。考えてみりゃ高校時代から20年。組織が腐るには充分な時間で、故伊藤栄樹氏のような秋霜烈日の志はどこかに行ってしまっていたのだろう(まあ、検察不祥事については、きっかけが「大阪地検の若手検事の内部告発」というところに、一縷の望みを託したいところだが)。 そう言ったわけで、シャオは多少は法律の心得がある。しかもかなり特殊な「検事」という仕事について理解はあるつもりだ。というわけで話の前置きが長くなったが、ちょっと気になったニュースがあった。 陸山会事件:小沢氏「離党、辞職せず」 検察審に不快感 これに対するドンピシャの文章があったはずだと脳みそのライブラリをほじくり返した。最初は、前述の伊藤栄樹氏の文章だと思ったのだが、記憶違いで裁判官の倉田卓次氏(S58年・東京高裁裁判官で退官)の文章だった。さして長い文章でもないので引用してみる。 「お上のことにも間違いはある」 「お上の事には間違いはございますまいから」 これは森鴎外が、『最後の一句』の女主人公いちに吐かしめた有名なことばである。 封建道徳に基づく司法への無言の抗議を秘めたこの一句の「反攻の鉾」は「役人一同の胸を」を刺すばかりでなく、読む者の胸も指す。森鴎外は大逆事件を処理した明治国家の司法に対する暗黙の批判を、逆説としてこの一句に籠めたのだと文学史家はいう。 鴎外の心境はともあれ、検察審査員諸君に必要なのは、この国家権力に対する批判精神である。昔は「お上のなさることに間違いはない」と信じるのがよい国民だった。今はそれではいけない。 私自身が国家公務員でありながら、こういうことを言うのは気がひけるが、そういうお上本位の考えの持主には発想の転換をしてもらう必要がある。かといって、一部の反体制主義者のように、行政や司法の営為と所産のすべてを疑ってかかるのは、明らかに行き過ぎている。 審査員諸君に望みたいのは、「お上のすることにも間違いはありうる」という基本的認識に立脚した健全な批判精神である。― いや、そもそも「お上」という用語もいけない。今は主権在民である。「国家のすることにも…」と言いかえよう。 戦前と違って現在の法制度は、行政訴訟や国家賠償の請求を認め、現に何千件と係属している。国だけではない。県や市町村も相手どられる。最近の新聞によると、全国の各市が平均3.7件の賠償請求事件を被告としてかかえているという。「お上」どころか…とも言える。 しかし、これらは制度上訴えの利益が要求される。平たく言えば、何か損をした者だけがそのような訴訟を起こせるということだ。だから当事者としての主観的利害がまず前面に出る。例えば警察の不当逮捕がいくら怪しからなくても、損害賠償を請求できるのは逮捕された本人だけであり、当人が問題にしない以上隣の人がいくら警察に批判的でも訴える権利はないわけなのだ。 まさにこの点に検察審査会の制度の特色があり、審査員諸君は、不起訴処分という狭い対象ではあるが、自分の利害とは無関係に、「国家といえども間違いはありうる」という立場から、客観的に事件を眺め、検察官の処分の是非を論じうる。 もし「間違っている」との結論を得た時諸君は、いちのような逆説を語る必要はないのである。 「裁判官の書斎/倉田卓次 勁草書房」 いっぺんこれ読んでみんか関係者。迂闊な口はきけんと思うぜ?
by shaonanz
| 2010-10-07 23:01
| 日記
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