カテゴリ
以前の記事
2022年 10月 2015年 08月 2015年 05月 2015年 01月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 フォロー中のブログ
エキサイト以外のリンク
シャオがよくお世話になっているリンク。
RYOKAN'S OFFICIAL SITE あまだくと! シャオと連絡が取りたい方はこちら。 shaoz01■yahoo.co.jp (■を@に変えてください) 最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2013年 02月 28日
とある場所,とある会議に,シャオさんが議事録係として参加していたと思ってほしい。
(あくまでイメージとして) その会議は,なんというか結構重要かつ大きく,かつ公開会議で,テーマも結構大きなものだったりして,色々な人が色々な立場で発言していた。無論,それを貶めるつもりはないし,どんな思想でも,思うのは自由だ。発言するのも自由だ。むしろ,そういう機会の場なのだから,それはむしろ推奨されるべきだ。 淡々とPCに発言者の発言内容を打ち込みながら,シャオさんはマシンの境地となっていた。言われたことを,瞬時で頭にまとめ,概要を記録する。どうせボイスレコーダーは回っている。精確な発言録は後で作成される。シャオが必要なのは,今日,会議が終わったらすぐに報告するための速報版だ。そう思いつつ,発言内容を記録していたシャオの耳に,傍聴席から野次が飛んだのはその瞬間だった。 「好きなものを,好きなだけ,好きなときに得られる,それが本当の幸せなのか!」 ぴくり。 シャオの指先が止まった。 そ…それは。 それは。 それは,ないんじゃないか? ☆ 傍聴席は,年代別に別れている。その発言の主は,20代の出席者だった。(後で大学生だと知った) 先の大戦から70年近く経っている。勿論,シャオも戦争なんてものは間接的にすら経験していない。シャオが物心ついた年に,すでに日本という国家はある程度,今の体制となっていた(色々,今に比べて不便なこともあったけれど)。 が,シャオは知っていた。自分が生まれた30年ほど前,日本という国がどんな状況だったのか。書物で読むそれは,ありていに言って地獄だった。家屋もなく,それどころか,朝が来てもその日の食物の保障すらない人々がけっこうな割合でいた。当時の政府の最大命題は外交でも文化でも,ひょっとしたら衛生ですらなかった。ひたすら「国民に必要なカロリーを提供すること」にリソースを割いていた。 この場合,日本という国の「資源のなさ」が災いとなった。敗戦で生産施設を全て失った日本に,頼れるものはなかったとは言えないが控えめに言っても心もとなかった。米だけは自給率100%を保っていたが,その他の食品については生産量が少なく,また,あったところで効率的に配分・流通させるシステムを全て失っていた。 これを全力で復旧させたのは,もはや当時の日本国民の執念といってもいいだろう。シャオの祖父の時代の人間は,まさに「好きなものを,好きなときに,好きなだけ得られる」体制を、国の、構築を目指したのだ。 食物の話だけではない。医薬品でもそうだ。昔は,結核にかかったら既にして人生終わりだったのである。結核に対する特効薬たる抗生物質のストレプトマイシンが製剤されたのは1943年だが,それは,ごく一部の富裕層以外に普及するにはあまりに高価すぎた。 シャオは身長がそこそこ高い。高校生の頃だったか,そんな姿を見て祖父が笑いながら言っていた。 「わしらの頃は,食べ物がなかったからなあ。お前みたいに大きくはなれなんだ。 せっかく大きくなったんだ,その高いところについている瞳で,わしらより, 色々なことをよく見て,色々なことを考えて,何ができるのかを考えなさい」 そんな祖父が物故したのが,おそらく発言者の大学生が生まれた時代だ。 なあ,じいさん。 俺たちはちょっとやりすぎたのかもしれないな。 後の世代に「せめて食べるに困らないように,せめて病気の苦しみが減るように,そんなことで悩むぐらいなら、それに割くエネルギーを色々なことに回せますように」と社会を作ってきたつもりだったけど,肝心な世代は「そんなの幸せじゃない」ってさ。 食物が溢れ,社会制度は整備され,誰でも必要なときに医者にかかることができて。 クリックひとつで欲しいものが手に入り,情報は好きなときにアクセスできるこの時代。 彼の頭の中では、もしかして、それが「当たり前」の世界なのだろうか。 いらない,のか。 幸せじゃない,のか。 そうか。 シャオは目を閉じて,モニタに向きなおる。次の発言者が登壇している。指先がキーボードに触れる。 指先で,ゆっくりと,エディタに文字を打ち込んだ。 「登壇者交代の際,傍聴者から野次あり」 できるだけ冷静に。無感情に。
by shaonanz
| 2013-02-28 20:00
| 雑感
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||